「星の王子さま」で親しまれるサン=テグジュペリの作品。しかし、本書で土田氏は、原題「Le Petit Prince」の「小さな王子さま」と訳すべしと解説します。(聞き手:本体、話し手:折田ちなむ)
(本体:以下「本」)
「星の王子さま」、児童文学として有名ですよね。「大切なものは、目には見えないんだよ」というフレーズも心に残ります。
(折田:以下「折」)
私もこの土田知則さんの『星の王子さま 再読』を読むまでは、そう思ってました。
かなり昔に読んで、なんとなく「美しい感じがする内容だな」くらいの印象でした。
でも、土田さん曰く、「子ども向けの心和む童話ではない」のです。まさにオルタナティブ視点。
本:えっ!?あの「星の王子さま」ですよ。どう違うんですか?
折:
全部を語ることは紙幅の関係で難しいので、論点を以下の3つに絞りますね。
1.「ちいさな」という原題にある言葉が重要な意味を持つ。「星の」でそれが隠れてしまった
2.心和む童話ではなく、第二次世界大戦中の痛切な想いをメッセージがこもった本である
3.「大切なものは、目に見えない」は名言ではない。キツネは良き友ではなく言葉を弄しているだけ。
本:
にわかには信じがたいですが、1つ目からいきましょうか。「星の王子さま」という邦訳がサン=テグジュペリの込めたメッセージを隠してしまったということでしょうか?
折:
そうなんです。
土田さんが論を展開する際に根拠とされている本があり、「ちいさな王子(訳:野崎歓)」です。こちらの野崎さんの翻訳本も読みましたが、題名は「ちいさな」です。
「ちいさな」が「星の」となったことで隠されたことを、ぎゅっと凝縮して結論部分だけお伝えすると、
・「小さい(petit )」の対義語は「大きい(grand)」。
・サン=テグジュペリは、「大きい」ことが良いとされる世の中一般の風潮へ「意義あり!」のメッセージを込めている。
・それは、「大きい」ものの象徴である、大人の滑稽さや愚かさを冒頭から最後までサン=テグジュペリが書いていることからもわかる。(王子が訪れた6つの星は、王様、うぬぼれ屋、のんべえ、ビジネスマン、点灯係、地理学者。現実にいる大人の愚かな一面を描いている)
ということです。
こうしてみると、「星の王子さま」では、サン=テグジュペリのメッセージがわからないですよね。
本:
なるほどですね。フランス語の「Petit 」を工夫して「星の」に訳されたのでそれはそれでありだと思いますが、忠実にサン=テグジュペリの意図を読むと「ちいさな」ですね。
それでは2つ目は?
折:
「星の王子さま」というかわいらしい邦題と、サン=テグジュペリが描いた挿絵の雰囲気、小さなちいさな王子様が不思議な6つの星を訪ねた後の地球にやってくる、というメルヘンチックなストーリー概要を、私も含めて多くの人が勝手に誤解してしまったのではないかと思います。
時代背景を少しなぞると、サン=テグジュペリは1944年7月31日に44歳で消息を絶って亡くなっています。彼が生きた時代は第一次世界大戦があり、1944年は第二次世界大戦の末期。ナチスに占領されたフランスから、アメリカに亡命していました。
「ちいさな王子(星の王子様)」の冒頭に、サン=テグジュペリの親友「レオン・ヴェルト」さんへのメッセージがあります。フランスで「飢えと寒さに苦しむ」厳しい生活・迫害を受けているユダヤ人の友。
その親友のことを想い、書かれた本だとも言えると思います。
ヒトラーの「我が闘争」へのアンチテーゼとされる「戦う操縦士」を書いたことからも、サン=テグジュペリは戦争を、戦争を起こす人々へ強い怒りを持っていたのではないでしょうか。
本:
・・・そんな時代背景だったんですね。すみません、認識間違いでした。完全に童話と捉えていて、そんな悲痛なメッセージが込められていたとは。
折:
恥ずかしながら、私も40数年、誤解していました。
最後、3つめの「大切なものは、目に見えないんだよ」について。
この言葉は「ちいさな王子(星の王子さま」を代表する言葉ですし、この言葉だけを知っているという方もいらっしゃるのではないかと思います。
この有名な言葉は、王子と“友達”になったキツネが発する言葉なのですが、「そもそもキツネは王子の良き友なのか?」という疑問も提示されています。
本:
響きが素敵ですよね、「大切なものは、目に見えないんだよ」と、口に出して言いたくなっちゃいますよね。
折:
まず、この名言を発したキツネは、一見すると会話を多く交わした、友達として描かれています。
けれど、土田さんが注目する中で面白かった部分が、「キツネは、王子に対して『自分をなつかせてくれ』そしたら友達になるよ」というようなことを言っているところです。
『自分をなつかせてくれ』という言い回し、普通は言わないですよね。
もし言うとしたら「自分になついてくれ」ですが、キツネは狡猾だからそれを言わない。けれど、本心は「王子を自分の思うがままに操れるようにしたい。篭絡したい」です。
直接表現はしない、キツネの屈折した欲求を表しているのでしょう。
で、そんな王子にとって良き友ではない、言葉巧みに王子を操ろうとするキツネの言う、「大切なものは、目に見えないんだよ」という言葉です。その時点で怪しくないですか?
本:
キツネというと、日本の童話などでも基本的にずる賢い存在として扱われるので、欧米でも似たような扱いなのかもしれませんね。
ただ、仮にそんなワルな存在の発した言葉でも、真実を表すことってないですか?
折:
そのご意見も的を得ていると思います。善人が言うことが、全て良いことではないのと同じように。
ただ、土田さんが丁寧にサン=テグジュペリの書いた内容・メッセージを追っていくと、「大切なものは、目に見えない」という言葉が出て王子が感化され後に、揺り戻しがあるのです。
キツネと別れた後、「voir(見る)」や「regarder(見つめる・じっと見る)」という「目に見えるもの」を見るという動詞が多く登場し強調されます。お花を見る、星を見上げる、など。
で、土田さんもダイレクトに言及していますが、「目に見えないものが、常に大切なわけではない」という言葉は、「大切なものは、目に見えないんだよ」という詩的・哲学的な雰囲気にうっとりしがちな我々の目を覚ましてくれます。そりゃそうですよね。
本:
既存のイメージとのギャップがあって、思わず聞きいってしまいました。これが既存の価値観や見方ではない、オルタナティブな視点・・・
折:
今後もこういった「当たり前だと思っているものや王道の見方とは、違う観点から物事を見る」、オルタナティビスト的な書籍のご紹介をしていきたいと思います。
私も今回の「『星の王子さま』再読(著:土田知則)」と「ちいさな王子(訳:野崎歓)」の2冊を読んで、とても勉強になったし、感銘を受けました。ありがとうございました。