そして父を知る ー 長男の旅立ちと、26年前の父との邂逅 ー

J-WAVE(ラジオ)の番組に、オダギリジョーさんがナビゲーターを務める「LIFE TIME BLUES」という番組があります。

リスナーが、大切な思い出や忘れがたい出来事など「自分だけの真実(ほんとう)の物語」を送り、その物語をオダギリジョーさんが朗読をする。そんな素朴で温かい内容の番組です。

今回は、折田ちなむ氏が番組に投稿をした「本当の物語」 そして父を知るー長男の旅立ちと、26年前の父との邂逅ーを書いてみます。(多分にセンチメンタルです)

目次

長男との別れ

入寮の日

2023年3月。中学を卒業した15歳の長男が、住まいのある茨城県から石川県にある私立高校に進学し、寮生活をすることが決まった。

現地での入寮手続きは、父親である私が付き添い、行くことになった。

妻は「私は行けない。一緒に行ったら、別れが悲しくて何もできなくなる。」
そう言って自宅の最寄り駅で長男を見送った。


数年前に新築されたという寮は、ホテルのように清潔で近代的な寮だった。家から送った荷物を長男の部屋に片付け、寮母さんたちに挨拶をし、入寮の手続きと作業はあっさりすぎるほど、すぐに終わった。

思いの外、早く訪れた別れのとき、気の利いた言葉は出てこず、15歳の年頃の男の子に対する男親の変な照れのようなものもあり、「がんばれよ。元気でな」とあまりにもありきたりの別れの言葉をかけ、長男の肩をたたき、寮を後にした。

寮の自動ドアを出て、振り返ったとき、長男はもうさっさと自分の寮の部屋に向けて歩みを進めていた。

「親子の別れだからと感傷的になっているのは、自分だけか」と内心、苦笑した。 長男は、もう親から巣立ち、自分の道を見つけている。

誕生日

僕は父として、長男に何をしてあげられたのだろうか

寮から新幹線に乗る金沢駅へと向かう約20分のバスの中で、涙が溢れ、声を押し殺して僕は泣いた。

季節は3月末の春休みの時期。人気の観光地「ひがし茶屋街」そばのバス停からは、楽しそうな歓声を上げながら、学生さんたちのグループが大勢乗り込んでくる。真っ昼間に公共の場で泣いている中年男性の姿は場違いで気まずく、涙を隠そうと、コロナ禍が落ち着きマスクをする人も少ない中、マスクをつけて顔を窓の外に向けた。

バスの中で、次々と後悔の念が押し寄せてきた。僕は父親として、この15年間、長男に何をしてあげられたのだろうか?彼を大切に愛することができたのだろうか?
そんな父親としての後悔の涙だった。

親元を離れ、独立していく長男とは、家族といえども一緒に過ごす日は、あと数十年生きたとしてもほんの数週間しか無いだろう。時計の針を巻き戻すことはできない。

単身赴任

長男が1歳のとき、リーマンショックの影響で僕が当時勤めていた会社が倒産した。無職の半年間を経て転職した外資系保険会社は、完全成功報酬制の働き方であり、その営業の仕事に集中するため東京で単身赴任生活を約3年間送った。

その3年間で長男と一緒に過ごせた期間は合計で3週間ほど。会うときは夜行バスで長男のいる関西の街に向かい、数時間だけ一緒に過ごして、翌朝4時起きで始発の新幹線に乗り東京に戻る。そんな繰り返しだった。

その後、完全成功報酬制の営業の仕事を軌道に乗せることができず、別の会社に転職をして単身赴任を解消。

家族3人で一緒に暮らすことになったが、転職した会社は通勤時間が往復4時間。平日は出勤前の30分ほどだけ話をし、夜は12時帰宅で長男の寝顔を見る。そんな生活が6年間以上続いた。

ゴッホ展にて

「あるべき父親像」

だから、土日は少しでも父親らしいことをしようと自分なりに努力した。

公園で仮面ライダーごっこ。サッカーの練習。プール。登山。自転車に乗る練習。一泊二日のキャンプ。年に2回程度、実家に帰省しての海水浴や海釣り、スキー。

こうして書き出してみると、それなりの父親をやっているふうに思えるが、本音は平日の仕事と通勤で疲れ果て、土日はずっと寝ていたかった。登山や公園で遊ぶときは、身体に鞭打ってやっていた。

「良き父親」であるため、「他の家庭と比べて寂しい思い」をさせないように。やらなきゃいけない、義務感だった。心の底から、楽しめてはいなかったし、長男のためというより、「あるべき父親像」に近づける、自分のための行為だったかもしれない。

二人の距離

そして長男が小学校高学年になり次男が生まれ、中学校に入ると長男との距離は広がっていった。
幼い次男にかける時間が多くなり、わかりやすい愛情を注ぎ、長男はサッカー中心の生活だった。

長男とはじっくり会話をするというより、「部屋をぐちゃぐちゃにせず、しっかり片付けて」「テスト勉強、できてるのか?」「ご飯の食べ方が汚い。背筋を伸ばして」など、長男のだめなところばかり目についてストレスがたまり、あれこれ指摘してしまう、うるさくて嫌な父親になっていった。

長男が遠方の高校に進学することが決まったときも、長男が好きなサッカーに集中できることに対する応援の気持ちはありつつ、離れて暮らす寂しさよりも「長男と距離がとれて、ストレスがなくなりホッとした」という思いが同時に大きくあった。

そんな15年間の、長男にとって良き父親ではなかった自分の有り様が、申し訳ない日々が、長男と別れたバスの中で、頭の中にとめどなく押し寄せてきた。

もう二度と、すぐそばで彼に何かをしてあげることができない。

妖怪ウォッチのポーズ

長男との思い出

”父”でいさせてくれた

僕にとって、長男はどんな存在だったのだろうか。

それは、「僕を父にさせてくれていた」、大切な存在だった。

単身赴任をしていた当時は、年に数回しか会えない。
さらに、僕の完全成功報酬制の営業の仕事が安定しないばかりに、経済的に辛い思いもさせてしまった。

無職だった期間も含め、端的にいうと、父親として責任を果たせていない、父親失格だ。

北品川の1DKでの相撲

そんな僕なのに、会えるときは遠くから「パパ!」と全力で駆け寄ってきて抱きついてきてくれた。僕が暮らす東京の北品川にある1DKの狭い部屋で相撲をしたり、品川駅近くの公園でライオンキングごっこをしたり。

妻や妻の実家からは「幼い息子がいるのに、単身赴任をして自分の仕事ばかりして」と白い目で見られていても、関係なく父親として接してくれた。

パパ、こっち!

ある冬の日のこと。京都の駅ビルに入っている伊勢丹で家族と待ち合わせをしたときのことは今も忘れられない。

「僕がパパをみつけてくる!」と妻に言い残し、4歳の長男が伊勢丹のフロアを走って僕を探し回ったそうだ。
エスカレーターで上がってくる僕を見つけたときの驚きと喜びが混ざった長男の笑顔。そして僕の手を取って「パパ、こっち!」と導いてくれた、握った小さな手の力強さ。

とても小さな出来事だけれど、長男が僕を父と認めてくれていると思えた。心から嬉しかった。

5回以上は行った水族館

僕のこと

高校3年生

26年前の3月、僕は17歳の高校3年生だった。福井県の南にある、海辺の小さな町に生まれ、早く外の広い世界に出たいと願っていた。

茨城県にある大学への進学が決まり、その大学では1年生のほとんどが寮に入るという話で、自分もそんなものかと思って寮に入ることにした。
家賃や電気代など全部込みで「年間12万円」と激安。銭湯のような共同風呂、共同の洗濯機とトイレやキッチン。お世辞にもきれいとはいえない。

後で知ったことだが、僕が入る寮は「グランドスラム(スラム街という意味で)」と言われ、全体的に古くて汚い大学の寮の中でも、とびきりひどかったようだ。

窓辺からの緑

26年前の入寮の日

僕の入寮の日、父親が一緒に大学までついてきてくれた。

1ルーム5畳ほどの台形の歪な形の部屋には洗面台と、骨組みが錆びたむき出しのベッド台のみ。僅かな身の回りの品や机などを運び込み、ものの1時間で入寮の手続きや作業は終わった。

父は特にすることもなくなり、「元気でな」なのか「しっかりやるんだぞ」なのか、僕にひと声かけて故郷の町へ戻っていった。

僕はその父が去る瞬間を、ほとんど覚えていない。バス停にも見送らなかったし、部屋の入り口で見送ったかどうかすら怪しい。親元を離れる寂しさよりも、大学での新しい生活や開放感が勝っていたのだろう。

そして父を知る

父との邂逅

長男と別れたバスの座席で涙を拭いながら、僕の脳裏に26年前の父と僕の、あの殺風景な大学の寮での風景が蘇ってきた。

あのとき、父はもっと伝えたいことがあったのではないか、父はどんな思いで息子の入寮を、我が子が自分のもとを離れる場面を迎えたのだろうか。26年前の父と、今この瞬間の僕が重なった。

金沢駅でバスを降り、行き交う沢山の人々から離れた場所で、父にLINEをした。本当は電話で話をしたかったが、涙がこぼれ続け、まともに話せる自信がなかった。

「今日、長男と一緒に高校の入寮手続きを終え、別れました。涙が止まりません。26年前のお父さんのことを思い出しました。僕と大学の寮で別れたときのことを。
伝えたい、たくさん思っていることがあっても、うまく伝えることができない。お父さんの気持ちが少しわかった気がしました」

父からは「その通りです。私も26年前、別れるときなんとも言えない気持ちでした。今、感じていることを、(僕の長男に)伝えてあげてください」と短い返答があった。

26年前の息子が父親となり、26年前の父の気持ちを知る。

長男を肩車

20数年後の楽しみ

だからといって、何か生活が劇的に変わるわけでもないし、特にドラマチックなことは起こらない。

ただ父に対する静かな感謝と、僕の父親としての1つの役割が終わった安堵感、そして長男との関わり方が新しいものになるという妙な清々しさ。

長男とのこれまでの15年間、良き父親ではなかったという後悔の念は完全には消えない。
これから急に、長男にとって理想的な父親になれるとも思えない。

けれど、時を超えた邂逅を経て、なんとなく楽しく思う。

20数年後、長男が父親となって子どもを送り出すとき、今日の日のことを思い出したらいいなと思う。

そして、もし長男から連絡があったら、寮の玄関で僕を見送らずにさっさと自分の部屋に向かった薄情な彼にこう言ってやろう。

「お父さんの気持ち、わかっただろ?」

2023年10月

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この記事を書いた人

折田ちなむ (chinamu oruta)のアバター 折田ちなむ (chinamu oruta) オルタナティビスト/人事領域コンサルタント

◆オルタナティビスト:既存の価値観や視点ではなく、「alternative(オルタナティブ)=別の生き方や見方」を探す人。
◆スタンス:「Unique,Ironical,Nature」をモットーに、「それ、みんなもおかしいと思ってない?!」という本音をアンチテーゼとして発信。
◆「折田ちなむ」とは:世に溢れかえる、ありきたりで横並びのSEOコンテンツではない、本音を発信するためのペンネーム(オルタナティブ→おるた)。
◆プロフィール:40代男性/家族(妻、息子2人)/人事領域のフリーランスコンサルタント(人材業界約15年、国家資格キャリアコンサルタント、2018年独立)/東京・神田にオフィス/某国立大学大学院修了/関東在住/人口3万人の海辺の田舎町出身/市民ランナー(サブ3目標)/読書・書評系Podcast運営

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