村上春樹さんが書くエッセイ全般の魅力を語った前回1回目。2回目は「やがて哀しき外国語」の具体的な中身に入っていきます。(聞き手:本体、話し手:折田ちなむ)
(本体:以下「本」)
前回のコラムでは「やがて哀しき外国語」の中で1か所、「村上春樹さん的“男の子”たる3条件」というユニークな内容を説明いただきましたが、同書の他の魅力点を教えていただけますか?
(折田:以下「折」)
承知しました。それでは、4点に絞ってお伝えしていきますね。
まず1つ目は、「誰がジャズを殺したか」というエッセイからです。
村上春樹さんは大学卒業後、ご夫婦でジャズ喫茶・barを経営されていたのでジャズに対する造詣が深く、「ポートレイト・イン・ジャズ」という本も出されています。※私も読んでました。
で、私がお伝えする内容はジャズの本題とは異なるのですが、「デジタル化・自動化・効率化・均質化」される現代において、アンチテーゼ的な意見を書かれていたので引用させていただきます。
「もちろんLPレコードよりもCDの方が取扱いがずっと便利だし、音質も良い。・・・(中略)そういう場合でも長い時間つづけて聴いているとだんだん疲れてくる。どうもその世界にしっくりなじめないのだ。居心地がよくない。これまであたかも煙草の煙のたちこめる地下のジャズ・クラブで演奏されていたように聞こえていたものが、CDになったとたんに、まるでどこか清潔で上品なホテルのロビーで演奏されているみたいにいやに取り澄まして聞こえることがある。あるいはまた、レコードだとえも言われぬふっくらとした雰囲気があったのに、CDになるとそのふっくらが消えてすかすかの平凡な印象しか与えなくなってしまうものだってある。」(p105-106)
本:
味わい深いコメントですね。2023年時点だとCDが、SpotifyやAppleMusicのようなサブスクリプションサービスに置き換わりますが、よく音楽が愛する人やミュージシャンは同様のことを仰いますよね。
折:
私が毎週、愛聴しているJ-WAVEの「TRAVELLING WITHOUT MOVING」という番組で、ナビゲーターの野村訓一さんも音質の違いに関して、同様のことを仰っていたように記憶しています。
余談ですが、野村訓一さんはBRUTUSなどの雑誌で村上春樹さんのインタビューをされています。
ついで2つ目ですが、「ロールキャベツを遠く離れて」というエッセイからです。
ちなみに「ロールキャベツ」は、ジャズ喫茶・barを経営時にロールキャベツがメニューにあったので、毎日キャベツの千切りをされていた、ということに由来します。
こちらは大まかな要約と引用をさせていただきます。
村上春樹さんだけではないと思いますが、私も含めて「何冊も何冊も小説がかけるくらい面白い経験をしましたよ」という人に出会う経験があると思います。
ただ、そういった面白い経験をした人が、実際にそれに値する超絶面白い小説を書けるかというと、そうではないことが多い(だろう)。
村上春樹さんはというと、むしろ「僕の人生は僕なりにまあ面白かったと思うけれど、正直に言えば小説になるほど面白いものではなかった」(p213)とご自身で仰います。
「そんなことないでしょ?国内外いろいろ住まわれて、それはご謙遜でしょ?」と思わなくもないですが、「これといってたいした経験はしていないのだけれども、ちょっとしたことに面白みやら悲しみやら、他人とは違った視点から感じ取れる人たちもいる。そしてそれらの体験を何か別のかたちに置き換えて、わかりやすく語ることのできる人たちもいる。どちらかというと、こういう人たちの方が小説家に近い場所にいるような気がする。」(p214-215)と書かれており、そうだよなと納得するのと、私自身も経験の幅や深さで言うと自信がないので、勇気づけられました。
なお、私は小説家になりたいので全くなく、けれどこういったブログ・コラムを通じて、オルタナティブな・違った視点を提供していきたいと思っている、ということです。
コラムニストの故・小田嶋隆さんにも通じる部分があるように感じました。
本:
村上春樹さんのような偉大な長編小説家が、「実はわりと普通の人生経験です」と仰るのは意外ですね。
折:
派手に耳目を集めるだけの昨今のインフルエンサー的な振る舞いと違う、誠実さを感じますよね。
さて、3つ目ですが、同じく「ロールキャベツを遠く離れて」からです。
村上春樹さんは、地に足がついた方だなと信頼できると思える内容だと私は感じました。
「労働は僕にとっては最良の教師であり、僕にとっての「本当の大学」だった。・・・(中略)十人のうち一人か二人が本当に気に入ってくれる方がかえって良い結果をもたらす場合だってある。僕はそういうことを、店をやっているあいだに肌身にしみて覚えた。本当に骨を削るみたいにしてそれを覚えた。・・・(中略)一種の生活感覚として信じることができる」(p222)
私と比べるのはおこがましいですが、私もとある人材系企業で6年間働いたとき、デスクワークのホワイトカラー業務ですが中身はほぼ肉体労働(体力勝負)で、また仕事内容や社風と合わなかったため本当にきつかったのですが、「骨を削る」ような時間だったからこそ、今に活きる知見があったなと思っています。
本:
村上春樹さん、労働とかフィジカルという言葉をよくエッセイで使われる印象ですが、フィジカルを入り口に思考や言葉を紡いでいかれる方なんですね。
折:
同じランナーとしても、すごく共感できる在り方です。
それでは最後4つ目ですが、「あとがき」部分からです。
人が良き隣人であるためには、他者に対してフラットであるためには、どういうスタンスであるべきかということを教えてくださる内容です。
「外国で暮らすことのメリットーといえるかどうかはいささか疑問だけどーのひとつは、自分が単なる一人の無能力な外国人、よそ者(ストレンジャー)でしかないと実感できることだ。・・・(中略)少なくとも差別されたり、あるいは部外者として排斥を受けたりしている僕は、何もかもはぎ取られたゼロの、裸の僕だからだ。」(p278-279)
村上春樹さんクラスになると、日本にいると「大作家」という扱いしかされず、それはそういった“権威・権力”を好まない村上春樹さんからすると、面倒で苦痛でしかなかったのだと思います。
でも、これってすごく特殊で、多くの人は「有名になって影響力を持ちたい」や「特別扱いをされたい」と思うじゃないですか?私もそういった部分があるのは否めないので、突き抜けていらっしゃる考えではあるものの、肝に銘じたいなと思っています。
本:
軽妙な書きぶりのエッセイではありつつ、随所に含蓄に富んだ村上春樹さん一流のメッセージがこめられているのですね。改めて手に取りたくなりましたよ。
折:
そう言っていただけて何よりです。
村上春樹さんの「まえがき」に書かれている内容を少し拝借して絞めさせていただくならば、
「もしこのコラムが何かのかたちで、あなたの何かの役に立つことができたなら、私としてはそれに勝る喜びはありません。」合掌。