中学生にリストバンドをつけ授業を受けさせ、リアルタイムで集中度を教師が管理する取り組み。様々な観点があるという理解の上で、「愚行」でしかないと考えます。(聞き手:本体、話し手:折田ちなむ)
(本体:以下「本」)
この「「聞いてるふり」は通じない? 集中しない生徒をリアルタイムで把握 教員からは期待、「管理強化」に懸念も」という報道の後、賛否両論、どちらかというと否定的な意見が目立つ印象ですが。
(折田:以下「折」)
Twitterを見ていてホッとしたのですが、哲学者の千葉雅也さんはじめ、多くの方々が強く反対意見を出されています。社会の良識が機能しているなと。
私も完全に反対です。
こういった取り組みをしちゃう人たちの考えることは理解できなくもないですが、はっきり愚行と言わないと、どんどんおかしな社会になっていくと思います。
あまりにも最悪。これがわずかの検討の余地もなく最悪であることがわからない大人は小学校からやり直していただきたい。 「聞いてるふり」は通じない? 集中しない生徒をリアルタイムで把握 教員からは期待、「管理強化」に懸念も(共同通信)#Yahooニュースhttps://t.co/5mdWYZuMp8
— 千葉雅也 Masaya Chiba (@masayachiba) June 22, 2023
本:
オルタナティビィスト的な観点から、何が最も問題とお考えですか?
折:
1つは、「授業に集中していること=正しい」とする見方だけが、良しとされてしまうことです。
そこに、授業内容以外のことを発展させたり、脱線したりしながら考える余白や自由がありません。
2つ目に、管理する学校・教員側が管理欲求をエスカレートさせていく危険性です。
記事内には、このリストバンドを導入した学校が「今後、360度カメラで撮った授業動画とリンクさせる計画もある」と記載されています。
個々の生徒は脈拍で集中度がリアルタイムで可視化され、授業中の態度や様子は録画される。全て丸裸で、気持ち悪くないですか?管理欲求に歯止めが利かなくなります。
本:
学校側や開発者側の導入目的や意図は何なのでしょうか?
折:
学校側の説明は、「授業の改善=より良い授業を生徒に提供する」としています。授業を担当する現場教員側の授業内容の改善につなげるとしています。
また、開発者側は、「ものは使いよう」という説明を記事でしています。
これ、危険な発言・発想だと思いませんか?なし崩しで導入を進める方便というか。
今回のシステムを提供しているのは元国立健康・栄養研究所協力研究員の高山光尚さんと、ヘルスケアIT企業のバイタルDX(東京)
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「1カ月に1回といったところから始めたらいいのでは。あくまでも道具ですから。ものすごく切れる包丁かもしれないけれど」
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本:
学校や開発側の意見も、「1つの意見」としては成立するような印象も受けますが、これを一般的なビジネスパーソンの仕事風景に置き換えるとどうなのでしょう?
折:
超・管理社会の実現です。
一般的な会社員の仕事風景に置き換えると、
・業務開始と同時にリストバンドの着用が義務。
・リアルタイムで脈拍が部長のモニターに表示される。モニターに「Aさんが集中力低下しています」とアラートが出ると注意される。(家族からの急ぎの連絡がありちょっと対応しただけなのに・・・は通じない)
・仕事中の集中度(脈拍)データは蓄積され、人事評価面談の際にグラフ表示。場合によれば減点要素になる。(仕事はそこそこがんばってたのに・・・、は通じない)
といったことが想像できます。
これ、たまったもんじゃないですよね。
本:
Twitterでも、「生徒に導入する前に、学校教員側がやるべきだ」という意見も出ており、思わず首肯(しゅこう)してしまいました。
折:
本当にそうだと思いますよ。
管理する側は、管理欲求を際限なく増大させてたいから、「授業の改善のために」という詭弁を弄します。(それも一部、正論でもあるため厄介)
記事の中では、東京工業大学の名誉教授さんがこのリストバンド導入による管理に対して「賛辞を惜しまない」と書かれていますが、もしご本人が大学教員時代にずっとリストバンドで脈拍管理されていたら、どうなんでしょうか?と思ってしまいます。
例えば、大学の上位管理職から「君の勤務時間の集中度は、3か月平均で全学下位20%です。なので、個室研究室や自由を与えることはできません。ずっと大学職員が監視する必要があるので、PCだけ持って大学事務室のオープンスペースで執務してください」なんて言われたら、キレると思いますけどね。
本:
自分の立場に置き換える想像力の欠如も原因としてあると思いますが、どうしてこういう管理強化の施策が行われるのでしょうか?
折:
文化人類学者の故・デイビッド・グレーバーさんも「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」で書かれていますが、「本来は不必要な事柄を可視化したい・数値化したい」という欲求に支配されすぎているのだと思います。
管理する・可視化する・数値化する、そういったことをすると「仕事をしている」「良いことをしている」「改善・成長につながる」という満足感を得やすくなります。
けれども、その結果は数多くのブルシット・ジョブを生み出し、一部の優越的管理者と過半の被管理者、不満足で創造性を発揮できない人々を生み出すことになります。
例えば、このリストバンド運用でも、
・学校管理側:データ分析、教師への改善指導、生徒への改善指導、保護者への対応などの仕事
・コンサル側:上記の取り組みは学校単体ではできないので、コンサルや研修会社のビジネスが生まれる
・IT企業:システムが乱立する、機能改善(改悪・強化)が行われる
・官公庁や自治体:対応窓口やガイドライン策定の必要が生じる
などなどの、恐らく無くてもよい仕事が生まれ、そのブルシット・ジョブのために、ストレスを抱えたり、板挟みになったりして、「こんなクソみたいな仕事、いやだ」となってやる気がなくなる人々が大量に生まれるでしょう。
もちろん、最大の被害者は児童・生徒と、現場の教員です。
児童・生徒は、幼いころから「管理されることに従順な身体と思考」に調教されます。大人になっても、管理されないと不安で仕方ない。そして、自分たちの子ども世代にも同等以上の管理を強いるでしょう。
現場の教員は、学校管理職から厳しく追及・指導されるようになります。
「君の〇月〇日の〇時間目の授業は、生徒の集中度が〇%を切っている。映像も確認したが、言語道断だ。授業の改善案を明日までにペーパーで提出することと、今後3か月は学年主任(上司)が授業全てに同席・評価します」などが想定できます。
本:
これは・・・生き地獄ですね。まったく生きた心地がしないというか。
折:
こういった愚行・愚策が、試験的な導入だけで終了することを切に願っています。