Facebookの「誕生日おめでとう」のやりとりが嫌いです。
利用率が低下しているとはいえ、ビジネスパーソン世代ではMessenger機能や名刺交換の代替としても活用されているFacebook。ずっと「気持ち悪い」と思っていた事象について語ります。(聞き手:本体、話し手:折田ちなむ)
目次
Facebookの「誕生日おめでとう」コミュニケーションがキモい
誰に対して、何の価値があるのか?
(本体:以下「本」)
Facebookですか。2000年一桁年代に一世を風靡しましたが、最近はTikTokやInstagram、LinkedIn、YouTube、BeRealなどがメインで、SNSとしての「オワコン」感がすごいですよね。
40代の私でも「Facebook(アカウント)持ってます」と言うのが恥ずかしいと思うくらいです。
(折田:以下「折」)
私もここ10年、Messenger以外は利用ゼロです。
が、しかしですよ。タイムラインを見ると、いまだに「〇〇さん、誕生日おめでとうございます!良い1年をお過ごしください」的なやりとりが、30代・40代・50代・60代あたりで活発に行われています。
正直、そのやりとりは「気持ち悪い(キモい)」と私は感じていて、そういう人は多いはずですよ。
※例:元日本マイクロソフト社長、HONZ代表の成毛氏の東洋経済オンライン記事
問題は「誕生日を公開している側」にもあり
キモい当事者① 誕生日を非公開にしない当人
- 本:
確かに気持ちの全く入っていない「誕生日おめでとう」のやりとりは、不毛以外の何ものでもないですが、誕生日を公開している側にまず問題があると? -
折:
よくあるやりとりとして、誕生日の当人がこういうコメントを書き込んでいるのをみたことはないですか?
誕生日のメッセージ、本当にたくさんいただきありがとうございます!
お一人ひとりにまだコメントをお返しできておらず申し訳ございません。これから少しずつお返ししていきますので、少し時間がかかると思いますがご容赦ください!」
- 本:
ありがちなコメントですが、まあ一般的というかフツーな感じもしますが? -
折:
こういったコメントを書いている瞬間の、誕生日当事者の心理になってみてくださいよ。
「俺って、こんなに何百人にコメントもらっちゃって、人気者なんだ(グフフ)」
「私ってみんなに愛されている!求められているんだわ!」
という、ちっぽけな承認欲求、虚栄心、自己顕示欲の塊みたいなものです。
そういう私もFacebook使い始めたときは誕生日のコメント数を数えていた恥ずかしい過去があります。
「お山の大将」論
- 本:
だいぶ悪く読み取るとそうかもしれませんが・・・
純粋にコメントをもらったことに感謝する人もいそうですけど。 -
折:
もちろん、そういったピュアな方や、虚栄心が満載の人でも部分的にそういった気持ちも持つでしょう。
ただ、まずはFacebookで恥ずかしげもなく誕生日を公開する行為自体が問題です。
誕生日が近づくと「コメントやいいね、たくさんもらいたいな」なんてドキドキしている厚顔無恥な人物は、「お山の大将」だと私は思っています。
他の例を出すなら、会社で誕生日のサプライズイベントをやってもらい、わりと本気で無邪気に喜んでしまうタイプ、とも言えるでしょう。周りがどれほど気を遣って、「正直、面倒だな」と思いながら惰性でケーキとか花とか準備しているかに思いを巡らせられない、裸の王様とでも言えるでしょう。
「いいね!」する人々の欲望
キモい当事者② いいね!やコメントをしてしまう、欲望を隠せない人々
- 本:
純粋にお祝いの気持ちを届けたいという人もいるかもしれませんので、反感を買いそうですが・・・ -
折:
もし本当に誕生日の人を祝福したいなという場合は、その人に個別にリアルな言葉で伝えたり、メッセージ送ればいいと思いませんか?
敢えてFacebookの公開されている場でコメントするということは、利己的な欲求・動機を持っているからです。
- 本:
「利己的な欲求・動機」とは、具体的には? -
折:
わかりやすい例としては、「誕生日おめでとうをしておいたほうが、ビジネス上で都合がいいから」ですよね。
恐らく、誕生日の当事者は「だれがいいね!やコメントしているか」をチェックしていますから、経営者や重要なクライアントの場合、「しておかないとまずいよね」となります。
他にも、邪な性的な欲求のパターンもあるでしょうね。「お近づきになりたいけど、そんなに親しくないからまずはFacebook上で自分をアピールしよう(あわよくば誕生日をきっかけに食事にでも・・・)」的なものです。
「他人の欲望を欲望する」時代に流されて・・・
- 本:
「他人の欲望を欲望する」というのは、 ケインズの「美人投票」やルネ・ジラールの「欲望の三角形」につながる話ですか? -
折:
まさにそうです。
自分が「いいね」と本当に思うことではなく、世間一般・周囲の人・Facebook上でつながっている「他者の視線」を意識せざるを得ない時代です。
・多くの他者が「いいね!」をしそうなもの
・自分が「いいね!」をしたら、他者から「いいね!」と思われるであろうもの
そういった「他人の欲望を欲望する」ことが、スタンダードになっている時代ということも、Facebookの「誕生日をおめでとう」の気持ち悪いコミュニケーションの背景にあると感じています。
本質的なコミュニケーションを
Facebookに限らず、TikTok、Instagram、YouTubeなども含め、加工されたり、切り取られたりした情報だけを介したコミュニケーションに不毛さを感じます。
インターネット・web・SNSなどの効用も多くあり、SNSの情報もある種の「真実」だと思いますが、中長期的に人生が充実したり、他者に対して寛容であれたりすることにはあまり繋がらないのだと思います。
私としては、より自然な人とのコミュニケーションのあり方や場作りを志向していきます。
皆さんも、まずはFacebookの誕生日を非公開にしてみてはいかがでしょうか?
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この記事を書いた人
◆オルタナティビスト:既存の価値観や視点ではなく、「alternative(オルタナティブ)=別の生き方や見方」を探す人。
◆スタンス:「Unique,Ironical,Nature」をモットーに、「それ、みんなもおかしいと思ってない?!」という本音をアンチテーゼとして発信。
◆「折田ちなむ」とは:世に溢れかえる、ありきたりで横並びのSEOコンテンツではない、本音を発信するためのペンネーム(オルタナティブ→おるた)。
◆プロフィール:40代男性/家族(妻、息子2人)/人事領域のフリーランスコンサルタント(人材業界約15年、国家資格キャリアコンサルタント、2018年独立)/東京・神田にオフィス/某国立大学大学院修了/関東在住/人口3万人の海辺の田舎町出身/市民ランナー(サブ3目標)/読書・書評系Podcast運営