一見つながりがなさそうな、ランニングとオルタナティブ。その間にある深い意味を掘り下げました。(聞き手:本体、話し手:折田ちなむ)
ランニングとalternative(オルタナティブ)のつながり
「走るのが好きだから」だけじゃない
(本体:以下「本」)
「ランナー 折田ちなむの誕生「デブからのダイエット編」では、ランニングを開始した経緯はよくわかりました。が、ランニングをオルタナティビストが発信する意味がわからないんですよね。
(折田:以下「折」)
うっかりしてましたね。ついつい20㎏痩せたといううれしい事実を伝えたい思いが先走ってしまって。
確かに、ランニングとオルタナティブって、何の関連性があるの?という感じですよね。
本:
ずばり言うと、単に走るのが趣味で好きだからでしょ?
折:
(うぅ・・・、そうかも・・・)
何をおっしゃいますか!そんなわけありませんよ。
短いブログでは、とても語りきれないくらいの深い関係性があるんです。
ランニングは「大いなるムダ」だからいい
本:
ふーん・・・そうなんですね。ぜひかいつまんで教えてください。
折:
端的にいうと、ランニングすることが大いなるムダだからです。
本:
ムダだから??どういう意味ですか?
折:
私たちって、「合目的に生きることや効率的・生産的なことが正しいのだ!」と、幼いころから教わってきてるじゃないですか。
学校の時間割、決められた時間内での試験、秒でのクイックレスポンス、バックキャスティング(ゴールから逆算した)目標設定、タイパ(タイムパフォーマンス)などなど、枚挙にいとまがないと思いませんか?
経済合理性・効率性・生産性を追求した先に、何かありますか?
生産性を上げて笑顔になるのは、私たちではない
本:
それが何か問題でも?目的にシンプルかつ最短で向かうのは、良いことではないですか?
折:
もちろん、良い面もあると思います。
しかし、こんな風に違う観点から考えてみるとどうでしょうか?
例えば、「生産性を上げる」だと、誰のために生産性を上げるのでしょうか?
きっと、「そりゃ自分自身のためでしょ。生産性を上げて、可処分時間を増やせますよ」みたいな回答が普通だと思いますが、実のところ生産性を上げて喜ぶのは、経営者や投資家・資本家、政府じゃないですか?
そして「暇と退屈の倫理学」
本:
オルタナティビストっぽい、斜め下あたりからのご意見ですね。
折:
あとは、「暇」とか「退屈」に耐えられず、次から次にやることを求めてしまう、刺激がないと間が持たない、なんていうことも考えれます。
※このあたりの論考は、國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」をどうぞ。最高に面白いですよ。
本:
記事コンテンツもYouTube動画も、尺が長いと離脱されるのは確かですね。
折:
ほかにも、「失敗が怖い」、「正解だけ欲しい」という傾向も強いと感じます。
キャリア形成でも、下積みや多様な経験をすることを忌避して、自分のやりたいことや興味があること、早期にスキルを身につけられること、だけを追求する人が増えていますね。
“浪費”のススメ
目的を持ちすぎない、時間と体力の完全なる“浪費”
本:
そこでランニングがどう絡んでくるのですか?落としどころが迷子になっていませんか?
折:
ランニングって、特に私のような競技志向ではない場合、特に目的とかないんですよ。年に3回ほど大会に出るので、「自己ベストタイムを目指そう」とかは思いますが、その程度です。
それにけっこう時間と体力を使うので、もしその時間を仕事に振り向けたらけっこう稼げますよね。
月200㎞走るのにおおよそ月に20時間使うとして、時給10,000円×20時間=20万円。
大雑把に見積もって、そのくらいの稼ぎにはなりますから、時間と体力を浪費してお金を捨ててることになります。
「ランニング・エコノミー(走りの効率性)を高めよう」といったことは練習で考えますが、走ることの効率性を高めても、何にも稼ぎは増えないですからね。まさに非生産的。
本:
ますますわからなくなってきました。ランニングするなんて、愚の骨頂じゃないですか?
折:
ね、合目的・生産性・効率性といった観点で見ると、私のような市民ランナーのランニングなんてムダの極致ですよね。1時間とか2時間とか40代のおっさんが一人で黙々走って何になるねん!と。
でも、逆説的にそういったムダなことだからこそ、意味があると思っています。
「合目的・生産性・効率性」に支配された世界観から抜け出した、オルタナティブな時間を持つことができるからです。
メリット・デメリットの最短距離では、豊かにならない
本:
つまり、「ムダだな」と思うことに意識的に取り組まないと、支配的な価値観から逃れられないと。
折:
目的のために最短距離をいく、効率的に物事に取り組むという意識は、学校のテストや資格試験といった正解があるものだと有利です。社会人になってからも、20代や30代の若手の段階では一定の答えがあるので、よいと思いますが、だんだん厳しくなると思います。
それに、なんといっても人生が豊かではないですよね。常にメリット/デメリット、損得、正解か否か、が判断軸になって、遊びがないというか。
本:
折田ちなむさんも、30代まではまさに「メリデメ」で判断する人生だったんですよね。
折:
そのことへの反省というか、浅はかな人生だったなという後悔があります。
なので、若い頃の私自身への反省の念も込めて、オルタナティブな発信、オルタナティビストとしての活動を開始しました。
ランニングはその気持ちを思い出す、大事な時間なんです。