フリーランスとしての独立背景 その3「2回目の独立失敗」

独立しようとして2度の失敗。コラムその1(組織不適合な折田ちなむ)コラムその2(営業やお金を追いかけるのは無理と気づく)に続く、2回目の独立失敗のエピソードになります。(聞き手:本体、話し手:折田ちなむ)

目次

大企業で働く30代オルタナティビストの悲哀

働きアリにはなりたくないと思った転職初日

(本体:以下「本」)
さて、ここまで2回に渡り、折田ちなむさんの独立失敗話を伺ってきましたが、その3回目のコラムになりますね。2回目の独立をしようと考えたきっかけを教えてください。

(折田:以下「折」)
2回目の独立に動いたのは、2018年2月~4月という短い期間でした。
某大手人材サービス会社に勤めだして、6年目の春でした。

我慢に我慢を重ねて修行のような心持で働いていたのですが、部署異動の内示があり、それで「あ、これ以上我慢するのは無理だな」と気持ちが切れたのがきっかけでした。

本:
某人材サービス会社での仕事は、そんなにきつかったのですか?

折:
客観的にみると、そんなに悪くはない会社だったと思います。
業界上位シェアで恐らく倒産などすぐにはしない、勤務地・東京駅至近、年収は高くはないけど低すぎもしない、残業時間は長いけれど一応管理はされている、など。

ただ、そういった外的な条件が大事なのではなく、私の価値観や生き方と相いれなさすぎたのでしょうね。

入社した初日、700人以上がアリのように忙しそうに働く広いオフィスに入り、自席にPCをセッティングしたときに、「あ、辞めたいな・・・」と直感的に感じた想いは鮮明に覚えています。

みなさん、学歴や経歴からいうと優秀でいい人ばかりなのですが、一心不乱にPCをカタカタやっている姿を見て、御幣を恐れずにいうと「ホワイトカラー・工場作業員」だと初見で感じました。

こんな働きアリみたいな仕事、あたし、できません!

本:
転職した初日に辞めたいだなんてとんでもない会社員ですが、辞めずに6年働いたのはなぜ?

折:
できればすぐに辞めたかったのですが、妻の親族に対しての責任というか、これ以上は何も言われたくないという気持ちが強くて、必死に耐えた形です。

というのも、新卒1社目がリーマンショックの影響で4年目に倒産、2社目の外資保険でのフルコミッション営業を「がんばります!一生の仕事にします!」と意気込みながら2年半でギグアップしています。

妻の親族からすると、「仕事が続かない、ろくでもない男と娘を結婚させてしまった」という後悔が強烈にあり、この人材サービス会社をすぐに辞めてしまったら、どんな非難を浴びるか目に見えていました。

なので、「最低5年、最低5年、最低5年だ。5年は何があっても辞めない」と自分の心に誓っていたんです。
この自分への約束以外に6年勤続した理由はないですね。

マネジメントラインに乗らない「窓際感」

本:
そのお気持ちはどうあれ、業界大手で知名度もある会社です。希望と違う異動への内示くらいで辞めるなんて、我慢ができなかったんですか?二人目のお子さんも産まれたんですよね?

折:
二人目の子どもが1歳ちょっとのタイミングだったので、そのことは気にはなりました。
ただ、異動の内示は1つのきっかけです。6年間の我慢の蓄積が大きかったですね。

あとは、その会社での自分の将来性を考えた時の閉そく感もありました。
大企業(私の場合は単体で5000名以上、グループで数万人)で40代以降も組織で生き残るためには、マネジメントラインに乗らないと、正直きついんです。

主に3点にしぼって、しんどさを説明しますね。

1.キャリアの選択肢

今は「プロフェッショナルコース」のようなキャリアパスを整備する企業も多いと思いますが、そこに進むのは狭き門、というのが実態ではないでしょうか。
ある領域における、かなりの専門性や実績がないと厳しいでしょう。

2.収入面

20代~30代前半くらいまでは、同期・同年齢などでそこまで大きな年収の差は生じないと思います。
が、30代半ば以降はマネジメント職に就くかどうかで、等級(社内番付)に大きな差が生じるので、自ずと年収格差が大きくなります。

よほどプロフェッショナル職として成果を出し続けられる人ではない限り、マネジメントラインとの年収差は埋まらないと思います。

3.メンタル面

地味に重要なのがこちら。「仕事が全然できないと思っていた後輩が上司になる」「組織内で浮いた存在・取扱い注意人材に自分がなってしまう」といった局面が訪れるんです。

年下上司の難しさは、多くの方が直面する難しさがあると思いますし、長く組織にいながらマネジメント職に就いていないと「ベテランとして遇しないといけないけど、役職がないから、どうコミュニケーションとればビミョー」的な難しさを周りに感じさせてしまいます。

居心地の悪さ、自分の存在意義の揺らぎ。そういったメンタル面のストレスはありましたね。

30代後半の厳しい独立・転職事情

コーチングで独立を模索するも断念

本:
さて、それでは独立2回目の企ては、どういったことをされたのでしょうか。

折:
会社員あるあるですが、異動の内示があったときは意表を突かれ、ビックリしました。

辞めたいと常に思っていた会社ではありながら、「実際に辞める日はいつくるんだろうか」と他人任せにしているような感じです。

なので、はっきり言うと独立するための準備、それは心の面でも具体的なアクション面でも、できておらず、内示があったその日から慌ててノートに「やりたいこと」と「経済的な計画」を書き出しました。

本:
すると、ご自身で計画して独立しようとしたというより、外的な変化があって独立に向けて動いたという理解であっているでしょうか?

折:
その通りです。そのため、実はたいして語れるものがないのです。

取り組んだこととして主なことは、当時コーチングに興味関心が強く、CTIというコーチングスクールに通ったり、人材サービス会社内で自発的に社内コーチ活動を行ったりしていたので、コーチングで独立したらどうなるだろう?とまず考えました。

類似サービスを大企業向けに提供している会社の人たちにも相談して、その会社の仕事もいただきつついっちょやってみるか!と思ったものの、基本的にコーチングって対個人のサービスなので、事業として立ち上げるのが超難しいんですよ

例えば、1時間1万円×月2回=2万円の個人顧客を20人確保して、ようやく月の売上40万円。
実績のないコーチだと、1時間1万円の値付けも難しいでしょうし、月20人の顧客獲得も難しい。

カリスマ的なコーチだと1時間10万円程度でしょうし、法人企業向けのサービス(顧問料で月いくらなど)や経営者向け・エグゼクティブコーチングなどができると違うのでしょうが。

本:
よくFacebookなどのSNSで「コーチやってます!本当の自分らしさを見つけませんか?」的な投稿をしている人たちがいますが、あれは痛いセルフブランディングだなと思ってみています。

折:
コーチングは、その危険性や怪しさを自覚しないといけないと思っています。

私自身もかれこれ6~7年、コーチングをクライアント側で経験しているので、その価値は否定はしません。しかし、またいずれ「ハッピークラシー」に関するコラムでコーチングなどの「自己啓発に潜む問題点」をお話できればと思っています。

転職エージェントでの独立はしたくなかった

本:
コーチング以外に模索した方向性はあったのでしょうか?

折:
他には、転職エージェント業ですかね。
人材サービス会社での経験を活かすなら転職エージェント、という最もストレートで現実的な線ですよね。

知り合いのつてをたどって小規模の転職エージェント経営者と話が進み、業務委託でスタートするという具体的なところまで話はいきました。
ビズリーチなどの求職者データベースや会社名/名刺などを利用させてもらい、売上(転職支援)が発生した時点で利益の一定割合をその会社側に渡すというシンプルな成功報酬体系です。

「できるか、できないか」で言うとできたと思うのですが、「やりたいか、やりたくないか」でいうとやりたくなかった。

だって、人材紹介・転職エージェントって、極論言うと人材をA→Bに移動させて収益を得る人身売買と私は考えています。

もちろん、そこにいろいろなロジック(企業と人材の出会いを創出、キャリアの最大化を実現するなど)を組み立てることはできますが、私はそこに本質的な価値や意味を見いだせていません。

本:
ちょっとヤクザな商売ですよね。年収1,000万円の人を転職させたら、手数料350~400万円(売上)とかですから。

折:
そんなこともあり、転職エージェントとしての独立はしたくないなと「リトル・折田」の声が聞こえ、その話は消滅しました。

一方で、家族4人がいて、人材サービス会社の給与は高くなく(年収700万円程度)、妻はパート務めという状況だったので、家計的にそんなに余裕/猶予期間はない。
なので、独立ではなく正社員としての転職へ方向転換するしかない、と舵を切りました。

転職活動を始めたものの、またまた苦しみました。
「30代後半・人材業界での営業経験がキャリアのメイン」となると、ビズリーチやリクルートダイレクトスカウトなどのサービスに登録しても、スカウトが来るのは人材業界のお話ばかり。簡単に言うと、転職市場での価値が低く、選択肢が限定されていることを痛感しました。

かなり焦り、転職エージェント50人ほどと大量に面談し、なんとか転職先を探そうと動きました。
結果、人材業界での営業や人材サービスを立ち上げる企業で複数内定はいただけましたが、本音を言うと微妙なものばかりでした。年収、事業の将来性、人や組織の面において。

本:
「30代、40代も転職できます」という話はありますが、ミクロでみるとそう簡単ではなさそうですね。

折:
実体験として、ホントのところは簡単ではないですよ。

単純に「転職する」という事実だけを言うなら、何歳でもできると思います。
が、それぞれ家族がいたり、やりたい仕事があったり、逆にこれは絶対いやだという条件もあるでしょう。

なので、「40代が納得のいく転職を実現することは容易じゃない!」と声を大にして言いたい。
人材サービス各社が「30代・40代の転職もできる時代です」と大きく謳うことには、違和感がありますね。

そして3回目の独立へ コネクティング ドット(Connecting the dots )

本:
最終的に、2回目の独立運動はどんな形で終結を迎えたのでしょうか?

折:
非常に中途半端な形ではありますが、小規模の転職エージェント会社の営業部長ポジションへの転職で、いったん落ち着きました。

詳細は書けないのですが、特定領域での転職支援をしており、その独自性や考えに共感する部分があったことと、小さい組織でもマネジメントや事業企画的な経験をするのは悪くないなと考えたからです。

とはいえ、「独立したかったができなかった」という後悔や悔しさは熾火(おきび)のように残っていたので、その転職エージェント会社は5か月で退職することになります。

本:
そしてようやく、2018年10月からの現在の独立する形につながるのですね。

折:
こうして振り返ると、現在の独立できたことは、本当に偶然の連続のように感じます。

あれだけ忌み嫌っていた人材サービス会社での6年間の経験や人脈が、独立へと導いてくれたのです。
有名な「コネクティング ドット(Connecting the dots )」、という感じでしょうか。

次回は、現在の独立に至る部分をお話できればと思っています。

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この記事を書いた人

折田ちなむ (chinamu oruta)のアバター 折田ちなむ (chinamu oruta) オルタナティビスト/人事領域コンサルタント

◆オルタナティビスト:既存の価値観や視点ではなく、「alternative(オルタナティブ)=別の生き方や見方」を探す人。
◆スタンス:「Unique,Ironical,Nature」をモットーに、「それ、みんなもおかしいと思ってない?!」という本音をアンチテーゼとして発信。
◆「折田ちなむ」とは:世に溢れかえる、ありきたりで横並びのSEOコンテンツではない、本音を発信するためのペンネーム(オルタナティブ→おるた)。
◆プロフィール:40代男性/家族(妻、息子2人)/人事領域のフリーランスコンサルタント(人材業界約15年、国家資格キャリアコンサルタント、2018年独立)/東京・神田にオフィス/某国立大学大学院修了/関東在住/人口3万人の海辺の田舎町出身/市民ランナー(サブ3目標)/読書・書評系Podcast運営

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