<山伏修行 体験記> vol.2「感じる・直感」を取り戻す(出羽三山 2023年8月)

2023年夏。山形県鶴岡市にある大聖坊の山伏修行に参加。体験レポート2回目は、修行の内容と様々な制約が修行の中で設けられる意味を読み解いていきます。(聞き手:本体、話し手:折田ちなむ)
他の体験レポートはこちら:1回目「生まれ変わりの山」3回目「祈り/inori」を忘れた日本人4回目「それぞれの縁起をきる」5回目「山伏修行から考えるサービスとは?」6回目「修行の思い出 5選」

目次

「感じること・直感」に焦点をあてる山伏修行 オルタナティブな方法

会話禁止。言葉を奪われる

(本体:以下「本」)
山伏修行というと、険しい山や岩を登って、滝に打たれて、というイメージしかないのですが、具体的にどういった修行だったのですか?

(折田:以下「折」)
レポート1回目の最後にも少しコメントしましたが、修行の内容詳細はお伝えできないので、簡単にこういったことをしたという概要と、山伏修行の独特な特徴をお答えしたいと思います。

修行の内容は、山歩き、滝行、座禅、勤行(祈り)といったものから、食事や休むことも含めて3日間全部が修行です。ここは割と一般的な“山伏修行”のイメージ通りかと思います。

一方で、修行中にいくつも衝撃を受けたことがあるのですが、1つ目は修行中は一切の会話が禁止なんです。

本:
えっ??会話禁止って、修行中に参加者でアレコレ話し合ったり、ファシリテーターに質問したりもできないということですか?

折:
まさにそうです。日常生活や一般的な研修などだと、考えられないことですよね。
なお、修行は、星野先達(せんだつ)と呼ばれる77歳の山伏の大ベテランの方に執り行っていただきました。

この修行中で唯一、言葉として発してよいのは「受け給う(うけたもう)」という一言だけ。

先達が、例えば「次のほら貝で、床固(座禅)を行う」と言われたら、皆が「受け給う」とだけ答えます。
仮にこの時、「脚が痛くて痛くて、とても座禅できないよ・・・」や、「今日、何回目の座禅なんだろう?やりすぎだよ。みんな疲弊している」とか内心思ったりしても、そういったことは言えません。

時間もスケジュールもわからない

本:
いやー、3日間の会話禁止はしんどいですね!想像できない。まさに「alternative-way」(オルタナティブな在り方)。他にも修行の場ならではの決まり事はあるのですか?

折:
衝撃を受けたこと2つ目は、時間やスケジュールが一切わからないということです。

時計やスマホなどはもちろん使用禁止ですし、宿坊(宿)に時計もないので、時間がわからなくなります。

あと、一般的な研修と異なり、修行のタイムスケジュールが事前に共有・開示されないので、「ほら貝が鳴ったら次は〇〇」と言われて初めて、「あ、次は〇〇なんだ」とわかる形です。

もちろん、その際も具体的な時間はわからないので「次のほら貝が△時に鳴るから、◇時まで仮眠をとろう」などの行動予定を立てることもできない形です。油断していると、急にほら貝が鳴るので笑

厳しい制限を課される意図とは?思考ではなく感じること

本:
本当に独特のオルタナティブな世界観ですね!
もちろん、ある程度そういった制限・条件を理解して山伏修行に申し込まれているので織り込み済みだとは思いますが、一般的な研修やサービスの感覚だと暴動が起きそうです笑

折:
他にもいくつか独特なことがあるのですが、食事は「頑張り」と言って、とにかく早くご飯をかきこむことを求められます。普段の生活だと、味わってゆっくりいただくことが良しとされると思いますが。

また、修行中は「(入浴はもちろん)歯磨きや洗顔等は禁止」ですし、3日間通して(汗だく・汚れた)同じ白装束を着通します。

これらは、他の修行全体を通じて、十界業(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏界)を味わう修行を体感するという意味があるようです。例えば、「餓鬼」は歯磨きしないでしょうし。

本:
歯磨き禁止は地味に厳しいですね・・・。
その「十業界を体験する」という狙いはよくわかりますが、会話禁止や時間・タイムスケジュール面での日常との違い・制限にどういった意図があるのですか?

折:
最大の狙い・意図は、「感じること/直感」を大事にしましょう、ということです。

わかりやすくするために研修の場面を想定して、「会話のあり・なし」でメリット・デメリットを考えると、以下のようになると思います。

メリットデメリット
会話あり参加者同士の刺激や気づき特定の参加者や他者の影響を受ける
会話なし参加者それぞれ固有の気づき共同で何かを行うのは不向き

それぞれメリデメありますが、山伏修行の場合は「自然から学ぶ(人間も自然の一部)」と「感じること/直感」に焦点をあてるために、「会話禁止」や「時間・タイムスケジュールなし」などの制限をしているのです。
本当にオルタナティブな在り方をどっぷり味わう形です。

  • 先達や他参加者から学ぶのではなく、修行の場である自然から感じ取ってください
  • 言葉を用いた頭で考える思考ではなく、感じること/直感を大事にしてください
  • 時間/予定を知り計画するのではなく、全てを周りに委ねてその場その場を感じてください

「感じること/直感」こそが、進むべき道を教えてくれる

「感情」と「感じること/直感」は違う

本:
で、実際に折田ちなむさんは修行を通じて、「感じること」ができたのですか?
悟りを開くというか。

折:
残念ながらというか、当然ながら3日間の修行では、その領域には至りませんでした。
「感じることを大事に」なんて言いながら、修行中は思考・雑念が頭の中をグルグルですよ。

「修行が終わったらコーラ飲んでやる」「暑さとアブが嫌だから、早く座禅終わってくれ」「来週のあの仕事の準備がまだだったな・・・」とか、まあそんなことばっかり考えてました。

本:
(ニヤリ)ですよねー。数日間の修行で劇的な変化なんてないですよね。

折:
・・・なんだかうれしそうで、腹立たしいですが・・・

ただ、とはいえ、スマホ・PC・時計・スケジュールなど日常を埋め尽くすものから強制的に解放され、修行に向き合うしかない・逃げられない環境だったのはとても効果的でした。

思考まみれだったとは言うものの、日常場面のように湧いてくる思考に囚われたり深みにはまったりするのではなく、できるだけ「自分は何を感じているんだろう」と感覚に身を委ねることは意識しましたよ。

「alternative-way-to-go」(オルタナティブな道を歩む)そのものだと感じます。

本:
そういえば、折田ちなむさんは山伏修行が終わり、参加者皆さんで感想を共有する場(直会/なおらい)で感情が昂って涙が止まらず、うまく話せなかったそうですね。
それは修行を通じて、「感じること」に焦点をあてた成果だったんですか?

折:
修行の成果、といいたいところですが、ちょっと違うんだろうなと思っております。

先達から、「感情と、感じること」は、似て非なるものと学びました。
なので、私が感情が昂ってしまったことは「感情」で、「感じること/直感」の結果とは違うと考えています。(具体的には、月山登山中に小さな子ども連れの家族が仲良く登山をする姿を複数見て、私自身が親として高校生の長男に良き親としていられたのか?と後悔・反省・申し訳なさの「感情」が溢れて出た結果としての「ごめんな」の涙)

先達曰く、「感情は、“〇〇だから嬉しい“というように、「だから」が入る。つまり、論理・頭で考えたものが介在するんだよ。一見すると嬉しい・楽しい・哀しいなどの感情は、感じること/直感と似ているけれど、実は違うんだよ」とのお話をいただき、まさにそうだなと思いました。

本:
これはなかなか深いご指摘というか、「感情と感じることは違う」と言われるとそうなのかもと思いますが、日常的には我々、一緒くたにしてますよね。

折:
まさに「感情」と「感じること/直感」を分けてみることがけっこう大きなポイントだと思うんです。

例えば、「仕事でクライアントから感謝され、やりがいを感じる。なので、その仕事は自分に合っているんだと考える」なんていう話はよくあると思います。

私もこれまでは、この「感謝される・やりがいを感じる・だからマッチした仕事である」のような一連の流れは、「その人の心から湧き上がったことだから、この感情は大事だ」と解釈していました。

しかし、先達の話を伺い、「これって、バリバリ頭で考えた思考だよな」「確かに感じること/直感とは別物だよな」と考えを改めました。

感じること/直感ってなに? 私たちは「いつも感じている」

本:
うーん、なんとなく感覚ではわかるのですが、そうすると「感じること/直感」って、具体的にどういうことや状態のことなのでしょうか?

折:
私もうまく説明しきれないのですが、言葉で言うと「第六感」とか、「(何かが)降りてくる」などと表現することもできるのだと思います。

私のビジネス領域である、中途採用/転職の例を出して説明すると

「内定をもらった企業がある。
年収や職場環境などは十二分に満足だし、有名企業だから本来は迷うことなく内定承諾し、喜んで入社するところなのだけど、面接で会った人たちやオフィスの中や周囲の環境から、なんだか心がざわついて自分には合わない感じがする。うまく説明できなんだけど、なんとなく・・・

といった場面が該当します。この時、論理的に考えたら内定承諾をして入社した方が良いし、周りの人もそれを勧めるでしょう。
しかし、本人の直感が「違う」と言っている。この場合は、内定辞退した方が良いかもしれません。

本:
なるほど。確かに何かを決断しなければならない場面での「言葉にならない感覚」はありますよね。
例えば、旅で初めて行った場所で受ける印象、いい人っぽいけど会って話をすると変に疲れちゃう人がいる、とかそういうことなのかもしれませんね。

折:
まさにそういった感じだと思います。

私たちは、実は常に「感じている」のだと思います。

けれど、「感じて、こうしたらいいよ」ということを、頭・論理が「いやいや、そっちじゃないでしょ」と止めてしまう。
その結果、心がついていかずストレスがたまる、無理をしているから周囲に悪影響を及ぼすといったことにつながってしまうのではないかと。
もしくは、感じているのに「感じていない」と黙殺することもあるでしょう。

これを拡大して考えるみると、企業や政治などの権力闘争や戦争などもそうですし、企業のマネジメントの仕組みや行政サービスの取り組みなども、「頭・論理や感情」で決めてばかりいるので、無理が生じたり矛盾が隠せなくなったりするのだろうなと思います。

本:
この気づきだけでも、山伏修行にいった甲斐があったと思えますね。
オルタナティブな在り方というか、決断・判断の仕方とというか。

折:
ですね。

いかに自分たちが生活する現代社会が「頭・論理、そして感情」に偏っているかに気付きます。
特にビジネスの世界では論理的であることが正しいとされ、「直感で決めました」なんて言ったら、「バカなんですか?」と一笑に付されると思います。

けれど、本当は「感じること/直感」の方が、自分にとっても周囲にとっても良きことを教えてくれるのではないか。先達は「魂(感じること/直感)は、先を行って先を示してくれる」なんていうことも仰っていました。

「alternative-way-to-go」(オルタナティブな道を歩む)とは、こういうことかと思います。

さてさて、体験レポート2回目はこの辺りにして、次回3回目は「祈り」ということをテーマに山伏修行の体験を振り返っていきたいと思います。

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この記事を書いた人

折田ちなむ (chinamu oruta)のアバター 折田ちなむ (chinamu oruta) オルタナティビスト/人事領域コンサルタント

◆オルタナティビスト:既存の価値観や視点ではなく、「alternative(オルタナティブ)=別の生き方や見方」を探す人。
◆スタンス:「Unique,Ironical,Nature」をモットーに、「それ、みんなもおかしいと思ってない?!」という本音をアンチテーゼとして発信。
◆「折田ちなむ」とは:世に溢れかえる、ありきたりで横並びのSEOコンテンツではない、本音を発信するためのペンネーム(オルタナティブ→おるた)。
◆プロフィール:40代男性/家族(妻、息子2人)/人事領域のフリーランスコンサルタント(人材業界約15年、国家資格キャリアコンサルタント、2018年独立)/東京・神田にオフィス/某国立大学大学院修了/関東在住/人口3万人の海辺の田舎町出身/市民ランナー(サブ3目標)/読書・書評系Podcast運営

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