<山伏修行 体験記> vol.5「山伏修行から考えるサービスとは?」(出羽三山 2023年8月)

2023年夏。山形県鶴岡市にある大聖坊の山伏修行に参加。体験レポート5回目は、「山伏修行から考えるサービスとは?」がテーマ。いわゆる「おもてなし」や「ホスピタリティ」とは異なる、「真に顧客満足度の高いサービスとはなんぞや?」を考えました。(聞き手:本体、話し手:折田ちなむ)
他の体験レポートはこちら:1回目「生まれ変わりの山」2回目「感じる・直感」を取り戻す3回目「祈り/inori」を忘れた日本人4回目「それぞれの縁起を生きる」6回目「修行の思い出 5選」

目次

「闘争」としての山伏修行 オルタナティブな“サービス”の在り方

山伏修行の特殊性

(本体:以下「本」)
ここまでの4つの体験レポートを伺ってきて、山伏修行の特殊性・オルタナティブな在り方については、かなり理解できたかなと思っています。改めてその特殊性をサマっていただけますか。

(折田:以下「折」)
主に体験レポート1回目「生まれ変わりの山」と、2回目「感じる・直感」を取り戻すの内容を整理すると、以下になります。

なお、ただ単に厳しい制約を課すということではなく、「日常生活とは異なる条件下で、感じること/直感に最大限フォーカスする」、「十界業(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏界)」を体感する、などの目的・意図があってのものです。

  • 言語:修行中の会話禁止。発してよいのは「受け給う」の一言のみ。
  • 時間:時計なし、時間の感覚がなくなる。
  • スケジュール:修行スケジュールの告知なし。ほら貝の音を基準に行動。
  • 食事:一汁一菜を最大スピードで食べる「頑張り」という修行。味わう食事ではない。
  • 衣服:3日間、同じ白装束とふんどし。
  • 生活:入浴はもちろんなし。洗顔も不可。歯磨きも不可。

「闘争」としての山伏修行とは?

本:
こうして見てみると、およそ一般的な「サービス」や「研修」とは本当に違うな・・・と驚きます。
初めて山伏修行の話を聞いた時も感じましたが、「ほんと、よくこんな変な修行に3日間も行くよな。それも山形の田舎まで往復10数時間、約10万円も費用払って」と、正直思っちゃいます。

折:
冷静に考えたら、「アホ」「好きモノ」「変態」という表現されそうですよね。
そして、こんな特殊な山伏修行にキャンセル待ちが数百人いるという異常事態。

本:
で、ちょうど修行に行く前のタイミングで手にされた、「闘争」としてのサービス(山内裕)という書籍の内容と、山伏修行がリンクしたということですが、書籍の内容や共通点についてご説明いただけますか。

折:
書籍「闘争」としてのサービス(山内裕)との出会いは、私が大好きで毎週欠かさず愛聴している、J-WAVE「TAKRAM RADIO」(ナビゲーターの渡邉康太郎さん)の、京都大学 経営管理大学院 教授 山内裕さんがゲストの回がきっかけでした。

山内裕さんのお話を、かなりかいつまんで言うと以下の内容です。

我々が通常イメージする「顧客満足度が高い良いサービス」とは真逆の、「顧客とサービス提供者が力をぶつけ合う=闘争としてのサービス」が本質的なサービスであり、それは「様々な制約を課された山伏修行」と共通する、と感じたのです。

  • 一般的に、私たちが良いサービスとしてイメージするのは、おもてなしやホスピタリティ溢れるものである。
  • しかし、そういった形で顧客ニーズを満たそうとすればするほど、本当のサービスではなくなっていく
  • 本来的なサービスとは、顧客とサービス提供者の力がぶつかりあい、そして共に創る、闘い(struggle)なのである※勝ち負けのある闘いではない。

興味深いところとして、ラジオ番組の中でも書籍でも、江戸前の高級鮨屋でメニューも価格もない中、店側(親方)から、鮨や鮨屋での振る舞いといった力量を試され緊張しながら注文する顧客の姿が説明されています。※山内裕さんも「敗者のつぶやき」というPodcast番組を2023年6月から開始されたようです。

「闘争」としてのサービス 山内裕

共に創り、共に気づき、共に高める“サービス”の場

顧客とサービス提供者が、共に創る

本:
「闘争としてのサービス」とは、これまた斬新かつオルタナティブな発想ですね!
私は魚介類アレルギーなので回らない鮨屋は行きませんが、怖い鮨屋の大将に圧倒されて、「このネタ頼んだら、素人って思われるかも・・・」とビビるイメージは容易に想像できます。

折:
まあ、あくまで鮨屋さんの事例は、象徴的でわかりやすい&耳目を集めやすいという部分も多分にあると思いますし、サービス提供者側が「上位の立場」ということでもないとは思います。

ただ、山伏修行においても、サービス提供者が“おもてなしをする”ではなく、それぞれがぶつかり合いながら、「その場を共に創る」という要素がすごくあったなと思っています。

  • サービス提供者(先達)
    参加者の心身の状態や力量、気候などを見ながら、修行の内容や求めるレベルをその場で調整
  • 顧客(参加者)
    先達の要求に最大限応え、かつ学びを得ようと全力を尽くす。
  • 結果、顧客(参加者)はもちろん、サービス提供者(先達)にさえも、その瞬間・その場の当事者でしかわからない、貴重な新たな気づきや学びが生じ、それが深い満足につながる

自分の事業を考える際のヒント

本:
うーむ、なかなか考えさせられる内容ですね。
ファミレスなどだとお金という対価を払ってサービスを提供されるだけですし、高級ホテルでも高額な対価を払って提供されるサービスが“おもてなし”で至れり尽くせりになるだけ、ということですよね。

折:
書籍「闘争」としてのサービスには、ファストフード(ハンバーガーなど)にも独自のファストフード性(顧客側ができるだけ早く注文する、個性化を避けるようにふるまうなど)という特性があり、それはそれで「共にサービス・場を創る」という要素があるとのことでした。

なので、高単価サービスだから良いとか、こだわりの職人気質なお店は本質的なサービスだとか、単純に決められるものではないと思います。

山伏修行を体験して、大事なポイントは3つかなと感じています。

  • 対等な立場で場を共に創る
  • その顧客とサービス提供者の一回性(その場限り)
  • お互いに学びや気づき、成長がある
本:
なるほど。しかし、その場合はサービス提供者側が「本物」であることが必要十分条件な気がします。
山伏修行の先達しかり、江戸前鮨の親方しかり、人間性や力量、実績がないと成立しないかと。

折:
仰る通りですね。

逆に言うと、共創する度量や学びを生み出せる力がないなど、「本物」ではないから、多くの世のサービスは“おもてなし・ホスピタリティ”を付加しなければならなかったり、低価格にしなければならなかったり、ということかもしれませんね。

今後、私たちが自分たちの事業・サービスを創っていく際に、「闘争」としてのサービスの在り方、山伏修行というサービスの在り方は、とても参考になると思っています。

さて、当初は体験レポートは5回で完結しようと思っていましたが、山伏修行での小さな感想たちを残しておきたいので、「こぼれ話」的に第6回を書いていきたいと思います。

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この記事を書いた人

折田ちなむ (chinamu oruta)のアバター 折田ちなむ (chinamu oruta) オルタナティビスト/人事領域コンサルタント

◆オルタナティビスト:既存の価値観や視点ではなく、「alternative(オルタナティブ)=別の生き方や見方」を探す人。
◆スタンス:「Unique,Ironical,Nature」をモットーに、「それ、みんなもおかしいと思ってない?!」という本音をアンチテーゼとして発信。
◆「折田ちなむ」とは:世に溢れかえる、ありきたりで横並びのSEOコンテンツではない、本音を発信するためのペンネーム(オルタナティブ→おるた)。
◆プロフィール:40代男性/家族(妻、息子2人)/人事領域のフリーランスコンサルタント(人材業界約15年、国家資格キャリアコンサルタント、2018年独立)/東京・神田にオフィス/某国立大学大学院修了/関東在住/人口3万人の海辺の田舎町出身/市民ランナー(サブ3目標)/読書・書評系Podcast運営

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