<山伏修行 体験記> vol.3「祈り/inori」を忘れた日本人(出羽三山 2023年8月)

2023年夏。山形県鶴岡市にある大聖坊の山伏修行に参加。体験レポート3回目は、「祈り」がテーマ。私(そして多くの日本人)が大切な部分を失っているかを語ります。
(聞き手:本体、話し手:折田ちなむ)
他の体験レポートはこちら:1回目「生まれ変わりの山」2回目「感じる・直感」を取り戻す4回目「それぞれの縁起をきる5回目「山伏修行から考えるサービスとは?」6回目「修行の思い出 5選」

目次

「祈り」を忘れた登山

山の頂上を目指すことが、“登山”なのか オルタナティブな登山とは

(本体:以下「本」)
修行で3つの山に登ったとのことですが、いわゆる一般的にイメージする頂上を目指す「登山」とは異なったのですか?

(折田:以下「折」)
全然違いました。

正直なところ、修行前は私も大きく誤解していました。険しい山道を駆け回るとか、夜通し山を歩くとか、そういった「肉体的にハードに追い込む」登山が修行だと勝手に想像していました。

実際、山を歩くことは歩きますし、月山は標高1,984mあるので高い山ではありますが、しかし登山をして頂上にいくことが目的ではないんです。
むしろ、木や岩、沼、川などの自然や社などの様々な場所で祈りを捧げていき、自然や自然におわする神、ご先祖様などとの祈りを通じたコミュニケーションをとることが大切なんだと感じています。

磐座(いわくら)=神が宿る場所
本:
何度も祈りながら登山をするなると、かなり時間もかかりますし、歩みはゆっくりですよね?疲れません?

折:
最初はじれったく感じるくらいでした。

私は大学・大学時代に野外運動研究室で、子ども~大人までのキャンプ指導をしており、その一環で山登りや少し経験していたので、それとの違いに違和感はありました。

でも、よく考えると、「頂上に立って征服する」ことを第一目的とする(一般的な)登山って、いかにも「自然と人を分けて克服・征服しようとする」意味で西洋的だなと今回感じました。

まさにオルタナティブな登山だと感じました。

山は神。山に登り、祈りを通じたコミュニケーションを取る

本:
そうすると、「日本人的な登山」というのはどういったものなのでしょうか?

折:
先達から教わった受け売りですが、日本人的にいうと「山は神」になります。
そして、人も亡くなると33年かけて罪汚れを祓い、成仏して山の神となるそうです。

つまり、山に登るということは、神様やご先祖様に祈りを捧げながら、対話/コミュニケーションをする大事な行為なのだと思います。

決して、人間が山頂に立って「高みに登ったぜ!」ということに、日本人的な登山においては、価値はないというか。

あと、よく聞く話かもしれませんが、春になると多くの人が楽しむ桜の花見も、本来は深い意味があるんですよ。

本:
桜の花見と言うと、お酒飲んで、歌って、新人がブルーシートで場所取りして、のあの花見ですか?

折:
蘊蓄(うんちく)語りみたいで恐縮ですが、
「さくら」の

「さ」は稲の神様・田の神様
「くら」は神様がおわす場所


という意味です。

なので、春になって桜の花が咲き、田の神様が山から里に降りてこられて、「今年も豊作でありますように」と祈りながら人と一緒に飲み食いして喜び合う。それが花見なんです。

けれど、現代の花見は、本来の在り方から「祈り」や神様の存在を忘れてしまっていると言えます。

これは完全に余談ですが、「祈り」つながりで、沖縄出身の歌手「Yo-Seaさん」の2023年最新アルバム「Sea of Love」に収録されている「Inori」は必聴です。Yo-Seaさんの声・音楽から、沖縄の海や自然を感じます。

https://twitter.com/yoooo7878/status/1696556866908647446?s=20

東洋的リベラルアーツ(教養)の鍵は祈り

孔子の六芸(りくげい)と「祈り」 オルタナティブな教養

本:
「さ・くら」のお話は、全く考えたことがなかった言葉の意味なので新鮮な驚きでした。
ところで、「祈り」について、一般論として「大事にしたほうが良いことだよね」とは思う一方で、「祈り」をして何かメリットがあるの?とも思われそうですが・・・

折:
現代人からすると、無意味なこと・無駄なことと捉えられそうですよね。

しかし、孔子の六芸(りくげい)という、いわゆる東洋的なリベラルアーツ(教養)があって、それを見ていくと、いかに祈りが教養として大事かということがわかるんです。

本:
リベラルアーツ(教養)というと、古代ギリシャの自由7科という印象が強いのですが、孔子曰くのリベラルアーツは異なるのですか?

折:
思想家である内田樹さんの著書「街場の教育論」で学ばせていただいたのですが、「礼・楽・射・御・書・教」の6つが孔子の六芸とのことです。

重要な順に並んでおり、より大事な最初の2つが「祈り」と深く関係すると考えています。

1.礼

この世のものではない、死者とのコミュニケーション
→「祈り」を通じてなされること。出羽三山の山伏修行でいうと、過去を司る月山はその象徴。

2.楽

音楽。消えてしまった音、聞こえない音、過去と未来の広がりの中に身を置く。現在・ここに存在しないものとの関係性を維持しなければ、聴くことも演奏することもできない。
→これも「祈り」を通じて実現できること。「過去・現在・未来」のつながり・大きな流れの中に自分が生きていることを感じる。

その他:射・御・書・教

射=弓(武術)、御=馬術、書=読み書き、教=そろばん

世の中の主流となっている西洋的なリベラルアーツ(教養)とは全く異なる、「オルタナティブな教養」ですが、よりアジア・日本の本来の自然な在り方なのではと思います。

www.amazon.co.jp/dp/4903908100

「祈り」は、音楽・歌でもある

本:
この話を聞いて、私も祖父母世代が生きていた頃は、お盆に親戚一同数十名が集まり、仏壇の前で念仏を1時間とか唱和していたのを思い出しました。
チーンという鐘の音色や、皆の声が一体感を持って高まる感じが、すごく心地よい時間に感じました。もう30年以上前のことです。

折:
素敵なご経験をされていますね。お盆の時期、まさにご先祖様との対話をされていたのだと思います。

なお、仏教か神道かという話もありますが、山伏は神仏混交なので、今回の山伏修行の体験をベースに話を進めていきますね。

修行の後に先達が仰っていましたし、書籍にも書かれていますが、「勤行(祈り)は、音楽とか歌のようなもの。ロックにもなるしジャズにもなる」ということは、実際に私も修行の場で感じました。

修行の場で30名ほどが気持ちを合わせて祈りを捧げるのですが、やっているうちに「この場が美しい」とか「唱和する音色が気持ちいい」となってくるんです。

羽黒山 爺杉(樹齢1000年以上)
本:
祈りがロックやジャズになる、というのはユニーク・オルタナティブな発想ですね。

折:
知識を覚えることや頭で難しく考えるばかりではなく、それくらい自由に気楽でいいよ、感じるままに・魂が喜ぶようにやればいいんじゃないの、という解釈ではないかと思います。

本:
神様やご先祖様、目に見えないものや音とのコミュニケーションを取ること・取れる力が孔子のいうオルタナティブなリベラルアーツ(教養)であり、そのリベラルアーツを身につける・実践する方法の1つとして、「祈り」がありそうですね。

折:
まさに仰る通りだと思います。

私も山伏修行を終えてから約1か月ですが、修行の場でいただいた勤行(祈り)の言葉を毎朝、欠かさず唱えています。オルタナティブな時間・空間というか。

ほんの10分ほどの時間ですが、修行の場の清新な感覚を思い出せたり、はたまた祖父母やお世話になった方々、もう何十年も会っていない故郷の友人のことなどが脳裏をよぎったり。

「それが何か実生活で意味があるの?」「ビジネスで役に立つの?」と問われたら、それはわかりません。
ただ、体感値として気持ちよく、心身が落ち着きますし、リベラルアーツ(教養)って目先の利益で判断するものではないと考えています。

なので、まさに「リベラルアーツ(教養)」として、この世のものでないものや目に見えないものとのコミュニケーションを、祈りを通じて継続して実践していきたいと思っています。

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この記事を書いた人

折田ちなむ (chinamu oruta)のアバター 折田ちなむ (chinamu oruta) オルタナティビスト/人事領域コンサルタント

◆オルタナティビスト:既存の価値観や視点ではなく、「alternative(オルタナティブ)=別の生き方や見方」を探す人。
◆スタンス:「Unique,Ironical,Nature」をモットーに、「それ、みんなもおかしいと思ってない?!」という本音をアンチテーゼとして発信。
◆「折田ちなむ」とは:世に溢れかえる、ありきたりで横並びのSEOコンテンツではない、本音を発信するためのペンネーム(オルタナティブ→おるた)。
◆プロフィール:40代男性/家族(妻、息子2人)/人事領域のフリーランスコンサルタント(人材業界約15年、国家資格キャリアコンサルタント、2018年独立)/東京・神田にオフィス/某国立大学大学院修了/関東在住/人口3万人の海辺の田舎町出身/市民ランナー(サブ3目標)/読書・書評系Podcast運営

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