<山伏修行 体験記> vol.6「修行の思い出 5選」(出羽三山 2023年8月)
2023年夏。山形県鶴岡市にある大聖坊の山伏修行に参加。体験レポート6回目は、ざっくばらんに「修行の思い出 5選」。感じたことをそのままつらつら書き連ねます。(聞き手:本体、話し手:折田ちなむ)
<他の体験レポートはこちら>
1回目「生まれ変わりの山」/2回目「感じる・直感」を取り戻す/3回目「祈り/inori」を忘れた日本人/4回目「それぞれの縁起を生きる」/5回目「山伏修行から考えるサービスとは?」
目次
山伏修行の思い出1 地下足袋(じかたび)というオルタナティブな履物
ごつい登山靴は必要?
- (本体:以下「本」)
山伏修行の体験レポート、ついに最終回。この6回目はまとめることを考えずに、修行を通して感じたことをざっくばらんにお話いただく感じですね。 -
(折田:以下「折」)
本当に個人的に感じたことなので、気軽に読んでいただければと思っています。
1つ目は、登山のときに履く靴についてです。
雪対策が必要な冬場以外の日本の登山(登山道を歩く。1000m~2000m越えくらいの山)に、アウトドア・スポーツ店で売っている、数万円するような頑丈な登山靴は全く必要ないなと感じました。
地下足袋 最高
本:
足首を固定するハイカットの登山靴とか、分厚いビブラムソールがついたものが売ってますよね。
折:
今回の山伏修行では、約2000円の地下足袋で登山(月山・標高約2000mなど)したのですが、「軽い・安い・歩きやすい」の三拍子揃っていて、登山靴より圧倒的に良かったです。
多くの登山客、特にミドル・シニア層やオシャレに気を使う人たちはいかつい登山靴を履いて登っていらっしゃいましたが、重そう&硬そうな印象を受け、歩きづらそうでした。
頑丈な靴が人間の機能を減退させる
- 本:
私も学生時代、渋くてゴツい本皮の登山靴に憧れました。今は様々なブランドから、登山する山の高さや難易度別などに登山靴が出されていますよね。機能的には優れていそうですが・・・ -
折:
地下足袋で歩くと、底のソールが薄いですし、足首のホールド機能も無いに等しい形です。
で、そうすると地面の接地感をダイレクトに感じながら、身体全体で衝撃を吸収して歩こうとか、できるだけ上下動を少なくしてひょいひょいと歩こうとか、そういった工夫をするようになります。
登山靴だと、その靴の高機能に頼ってしまって、人間が持つ身体の本来の機能を使わなくさせてしまう。
ちょっと厳しい物言いをすると、「過剰な機能を付与してしまい、人間の能力を衰えさせている」、そんな印象を受けました。
山伏修行の思い出2 胡散臭い「マインドフルネス」「先住民の〇〇」etc…
商業主義の匂いがする
- 本:
次いで2つ目はちょっと批判テイストな内容。「マインドフルネス」「ウェルビーイング」「サウナ・整う」「先住民の〇〇儀式」などの言葉に関して。
一般受けは良さそうで流行ってますが、山伏修行と何か関係があったのでしょうか? -
折:
山伏修行の中で、上記のような手法を取り入れた仕事をされている方々がいらっしゃって、そういう方々の言動を観察していて感じたことです。
きっと、これらの手法そのものは良いものというか、何らかの意味や効果はあると思います。
けれど、そういった手法を、さも「特別・最新・トレンド・効果抜群・有り難いもの」的に取り扱っている事業者のあり方が、過度に商業的すぎて胡散臭いなと思うんです。
で、だいたいそういう場合って、「人の本来持っている可能性を引き出す」とか「本当の幸せを取り戻す・味わう」といった謳い文句がセットになっていて、個人的には「気持ち悪い」と思ってしまいます。
「ハッピークラシー」という問題
- 本:
仰ることは概ねそうかもな、と共感しますよ。
やや古い考えかもしれませんが、こうった横文字・カタカナや、海外の手法を有難がらなくても、例えば日本の中でも今回の山伏修行のような魅力的な場があるのに、なんで?と思ったりもします。 -
折:
「山伏修行」だと、ビジネス面で市場が限られていたり、サービス提供者側が簡単に提供できなかったり、といった事情があるのかもしれませんね。
その点、「自然環境の中でビジネス研修+BBQ+ヨガ+サウナ+アメリカ先住民の〇〇儀式をちょこっと取り入れて社員のウェルビーイングを高めましょう」的な1泊2日のビジネス向け研修などは、誰でもできちゃうでしょうし。
あんまり考えていない顧客側も「なんか今どきっぽくて、ネタになるやん。対社外にもやってる感だせていいやん」となりますし。
このような昨今の主流の論調となっている、「幸福・ハッピーであるために人は生まれてきた」や「心の持ちよう・ポジティブであれば人生が変わる」的なものを、「ハッピークラシー――「幸せ」願望に支配される日常,エドガー・カバナス, エヴァ・イルーズ, 高里ひろ (翻訳), 山田陽子 (解説)」という書籍では「ポジティブ心理学と新自由主義・市場経済との関係」で鋭くオルタナティブな視点から批判しているので、ぜひご一読ください。
山伏修行の思い出3 会話・言葉は必要か?
会話ができないほうが心地良い
- 本:
さて、3つ目は山伏修行中は「会話厳禁」だったことについてですね。
2回目「感じる・直感」を取り戻すで説明いただきましたが、会話ができないとかなり不便じゃないかと思うのですが。 -
折:
それが私の場合は真逆で。
会話ができない修行中がとても心地良い時間で、修行後に会話OKになり皆ががんがん話し出すと、(嫌ではないですが)ちょっと興ざめしたのが本音です。
その場・その瞬間のその人の在り方で勝負する
- 本:
オルタナティビストだからなのかもしれませんが、かなり変わったご意見ですね。
普通、「修行でこれが大変だったよね」とか「山伏修行に参加した理由は?」とか、ワイワイやりながら話したいじゃないものじゃないですか。 -
折:
私も会話をして面白かった・良かったなと思う部分も、もちろんありましたよ。
けれども、せっかく修行で「頭で考える・論理ではなく、感じること/直感を大切に」とやってきたのに、修行が終わって話せるようになると、一気に元に戻ってしまった気がして。
もし私自身がこういった研修系のサービスを創るとしたら、「会話禁止・お互いの経歴や社会的な立場は一切わからない・その場その瞬間の在り方で勝負する」、そんな場にしたいなとヒントを貰いました。
山伏修行の思い出4 感じること/直感の”強さ”
”本当はみんな、わかっているはず。作り物のブルシットさを
- 本:
山伏修行を通じて、最も大きなテーマの1つが「感じること/直感」でしたよね。
ここで折田ちなむさんが想定している、「作り物」とはどういったものでしょうか? -
折:
言うなれば、我々の周りにある人工物は全てそうかもしれません。
物理的なモノだけではなく、システムや仕組み、制度、言説・論調、主義・主張などもそうだと思います。
インターネットの世界でいうと、巷にあふれかえるwebサイトやブログなどのSEOコンテンツなどは最たるものだと思います。
「ユーザーニーズ」の大義名分のもと、やっていることは検索上位記事の真似っこですよね。そのコンテンツの中身・質が、本質的に検索ユーザーの役に立つかどうかではなく、いかに検索で上位に上がるかだけを正義にしているのですから。
感じること/直感をコンテンツにしていく
- 本:
プラットフォーム側も継続的に対策をして改善はしていると思いますが、内容的に質の低いコンテンツが上位になると、それが基準になって他の事業者等が同じような質の低いコンテンツを量産していくという実態はあると思います。 -
折:
繰り返しになりますが、そのコンテンツを作成するときの目的は、「とにかく検索上位になる」だと思うんです。
後づけの論理で、「検索上位になるということは、ユーザーニーズを満たして支持されているからです」と正当化できてしまいますが、コンテンツ作っている側も良識がある人達は「我々はなんのために・誰のためにコンテンツを作っているのだろうか?」と気づいていると思います。
私はそういうSEO対策ではなく、「感じること/直感」を大事にしたいなと。
検索上位になりそうだからとか、他の人がバズって注目されているから真似ようとか、そういったことをことは無しでこのサイトを運営しています。
山伏修行でも実感しましたが、小手先の論理や思考より、最終的に「感じること/直感」の持つ力が強くて勝ると思います。
山伏修行の思い出5 街のキャンプ場を創りたい オルタナティブな場
街のキャンプ場とは
- 本:
それでは最後の最後の5つ目ですが、「街のキャンプ場」とはどういうものでしょうか?
都市部・街中にキャンプ場を作って運営したいということですか? -
折:
「街のキャンプ場」は、あくまで私の造語というか、感覚的なイメージなので、また今後の説明の仕方や表現は変わっていくかもしれません。
かなり抽象的なイメージでしか無いのですが、「目的がなくても良い/会話してもしなくても良い/日常の仕事や家庭、社会的な立場などから解放される/緑や水の流れる音などの自然を感じられる」といったことを満たした場所を創りたい、と考えています。
「なんだそりゃ?」という感じで、言っていることの意味も実現性も?でしかないと思いますが、大学院を修了して働き出した2005年か2006年には自分の手帳に「街のキャンプ場」のことを実現したい夢として書いていたので、何かあるのだろうなと思っています。
自然体で生きる そんな生き方を実現し、支援したい
- 本:
ふと想起したのは、以前に2回のコラムにした泊まれる出版社「真鶴出版」vol.1、vol.2のようなイメージが近いんですかね? -
折:
だいぶイメージは近いと思いますよ。
真鶴出版さんは「出版・書店+宿泊」を通じて、「生き方の選択肢を増やしたい/生き方の選択肢をこの場から提示したい」と取り組まれている部分にすごく惹きつけられました。
まだ私の場合は構想がゆるゆる過ぎて恥ずかしいですが、まずは私自身が「感じること/直感」を重視して場を創り、オルタナティブな生き方を形にしていきたい。
その上で、その場を訪れてくれる方々や興味を持ってくれる方々に対しても、
「別に学校出て、会社員になるだけが道じゃないよ。良い会社に入ったり、成長や偉くなることが立派なことではないよ」
「むしろ、感じること/直感を大事に、自分自身を信じて勇気を持ちつつ、自然体で生きるほうが素敵だよ」
といったことを伝えながら、自分自身も学びながら、少しでも関わる人を支援していけたらいいなと思っています。
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この記事を書いた人
◆オルタナティビスト:既存の価値観や視点ではなく、「alternative(オルタナティブ)=別の生き方や見方」を探す人。
◆スタンス:「Unique,Ironical,Nature」をモットーに、「それ、みんなもおかしいと思ってない?!」という本音をアンチテーゼとして発信。
◆「折田ちなむ」とは:世に溢れかえる、ありきたりで横並びのSEOコンテンツではない、本音を発信するためのペンネーム(オルタナティブ→おるた)。
◆プロフィール:40代男性/家族(妻、息子2人)/人事領域のフリーランスコンサルタント(人材業界約15年、国家資格キャリアコンサルタント、2018年独立)/東京・神田にオフィス/某国立大学大学院修了/関東在住/人口3万人の海辺の田舎町出身/市民ランナー(サブ3目標)/読書・書評系Podcast運営